超人気漫画、100日後に死ぬワニが今日完結しました。
注目のラストシーンについては様々な考察がなされていましたが、個人としてはネズミくんの記憶を生きるワニの100日間という風に考察しました。
以下ではネズミ君を中心に、ワニとネズミの心境の変化について考察していきます。
ネズミくんとの出会い
この漫画でネズミ君が初めて登場したのはこのシーン。
先に言った通り、ネズミ君の記憶の中で生きるワニというのをこの物語の構造であることを考えると、100日後に死んでしまうワニに対して、人はそんなに簡単に死なないといってしまったことを回顧するネズミくんの記憶であると考えられます。b
ワニのやさしさに気付くネズミ
これらのシーンでは、ワニのやさしさを回顧するネズミが描写されています。
病院にお見舞いに来てくれて自分を元気づけてくれるワニ。
さらにこのシーンで重要なのは、ネズミが自分の人生について考え始めている時期であるということです。
100日間のすべてを見た方はわかると思いますが、ネズミはバイクが好きです。
そのような趣味を生かせるような仕事や人生でありたいと思うネズミ。
一つ目の画像では携帯で何らかの情報を見て悩むネズミが描写され、二つ目の画像では、ワニに対してなにかやりたいことはないのかと尋ねるネズミが描写されています。
この時期はネズミにとっては自分の人生について考え、思い悩むつらい時期だったのではないかと考察しています。c
ネズミからの恩返し
ネズミも退院ししばらくたった頃、ワニは好きな人に突き放されたと勘違いしてしまい、かなり落ち込んでしまいます。
そんなワニを見たネズミは、自分の好きなバイクにワニを載せ、丘の上へとドライブに行くのです。
注目のポイントはこの日付。
三日連続して続いており、三日とも落ち込んでいるワニに対してネズミが元気づけるというシーンになっています。
これもネズミの記憶の中で、生前、ワニと一緒にドライブに行ったことやワニが自分の写真を撮ったこと、ワニに肉をごちそうしたことなどの三日間の出来事を鮮明に思い出しているシーンであり、ネズミにとって自分とワニの絆が深まった瞬間の大切な思い出であったと考察します。
ネズミへのあこがれ
ワニは好きな人に嫌われ(たと勘違いしている)、再開を果たす(一枚目)も、声をかけることまではできずに帰ってしまいます。
ただ、ワニが以前と変わらぬ気持ちで好きな人のことを好きなのは確かです。
そんな中、ネズミは自分の人生を楽しく過ごしていました。
最初の病院で人生について悩んでいたネズミですが、このシーンでは趣味のバイクで好きな仕事を手にし、これに対してワニはなんかすごいといっています。
重要なのは三枚目の画像。
営業の仕事がしたかったの?と聞くワニに対し返ってきた答えは、やりたいこととかないしだったら就職したほうがよくね?というもの。
これに対してワニはふ~ん、、、と返しています。
ここで分かるのは、ワニがどう自分の人生を生きたいかということです。
ネズミに対してはなんかすごい!とあこがれを抱いており、やはりワニにとって自分の趣味を仕事にしながら好きなことをして幸せになるという生き方のほうがしっくり来たのでしょう。
この画像でもわかるように、ワニは、オリンピック選手のような、好きなことを努力して極め、結果を出して成功する人のインタビューを家でだらだら見ている自分というあこがれの自分とは真逆の今の自分に嫌気がさしていると考えられます。
好きなことをして生きているネズミにあこがれを抱いている描写です。e
ワニの夢
そんな中ワニは、ゲームという自分の趣味を見つけます。
ネズミとともに練習し、ネズミの大会出る?という言葉をきっかけに実際に大会に出場するものの、中学生に敗退し挫折を経験します。
しかしここで折れるのではなく、また次も当然出るというような口ぶりで、でるっしょと発言しています。
ワニは自分の人生を自分の好きなゲームで頑張っていこうと決めたのです。
そして88日目(三枚目)では、ワニが冗談で死んだらあげるといったのに対してネズミが本気で怒っています。
ここからは、ネズミからワニへの愛が感じ取れます。
ここまでつらい時も一緒に頑張ってきて、やっとワニも自分の人生の目標を見つけて、これからもお互いに支えあった頑張っていけるような気の合う友達になれたのに、死ぬなんてことは冗談でも言うなというのがネズミの本心です。
そして四枚目。
彼らには行きつけのラーメン屋があるのですが、そこにラーメンを食べにいかないかというただの誘いのようにも見えますが、深いメッセージも隠されています。
ラーメンの誘いよりも注目すべきは、サイテーな気分だぜ。という部分です。
なんとなく就職した彼が、結局のところ満足できていない様子が描写されており、夢を見つけたワニとネズミとの対比がなされています。
そして何らかの理由で不参加となったネズミ。
ここが最後の考察にとって、かなり重要な伏線になるのですが、何度も言うように今回はネズミの記憶の中を生きる生前のワニの様子が書かれています。
そのことを念頭に見てほしいのが次の画像とその日付。
ネズミはワニとこの日はラーメンに行かなかったのですが、後日行く機会がありラーメン屋へと行ったものの、その日は閉店していました。
このせいでワニと最後に一緒に、いつもの店でラーメンを食べないままワニは死んでしまうのです。
ネズミにとっては、あの日にワニと一緒にいつものラーメン屋でみんなでラーメンを食べてあげたかったな。という気持ちになり、四枚目の画像は当時のラインを見返しているシーンではないかと考察します。
ワニが見たかった桜は満開の予報
ここでは、ワニとみんなの友情が良く描かれています。
特に二枚目では、みんなが嬉しそうに明日の予定を開けています(ワニと桜を見るため)。
三枚目でも天気予報は晴れ、桜も満開の予報。楽しそうな顔のワニを見るたび心が痛みます。
避けられない運命、変わらない日常
そしてワニが死ぬ100日目。
集合時間に遅れたワニを心配するみんなの様子。
実際にはワニはひよこを助けたために亡くなっており、集合場所には現れません。
ここで、三日目の伏線が回収されています。
なんていいやつなんだ。
ここで今回の考察の伏線が回収されます。
注目は二枚目と三枚目の画像。この物語がネズミの記憶の中を生きる生前のワニであるとすれば、時系列が逆になっています。
本来ならこう。
ここまでが100日目の出来事。
ネズミがワニの様子を見に行くと、亡くなったワニの姿が発見されます。
そして数年後の同日、桜は満開で写真を撮り、ワニもいたグループのラインにネズミがよくね?の文字とともに投稿。
このように考えられる理由は二つあります。
一つ目は、このネズミの送った画像に既読が1しかついていないこと。
上の画像ではワニはラインのトーク画面を開いたまま亡くなっています。しかし、ワニの携帯のラインの画面は開かれているのに、ワニの携帯の画面にはネズミが送った満開の桜の写真とよくね?のコメントは写っていません。
また、ワニの携帯に移る桜の写真とネズミが送った桜の写真は全く同じ画角(場所もワニが倒れたところ)で撮られていて、ワニの命日に当時を思い出しながら撮ったものなのではないかとも考えられますよね。
ここから、これが送られたのは別の日なのではないかと考えました。
二つ目は、ネズミが桜を送るシーンとワニが倒れているシーンには日付が記載されていません。明確に100日目であるといえるのは一枚目のみんなが心配しているときの画像だけなのです。
よくね?のコメントはワニの命日であると仮定すると不自然(場に合わない)とも思えますが、あえてネズミは生前のワニとともに過ごした日常と同じ言葉を使うことで、二度と帰らない日常を惜しんでいるのではないかと考え、避けられない運命、変わらない日常というタイトルでこの章を締めさせていただきます。
100日すべてを通して、ワニは小さなひよこの命をも守る心の優しい人物でした。
同じ価値観を持ったよき友としてネズミは死んだワニのことが忘れられず、ともに過ごした日々を回顧しているシーンを描写した漫画なのだろうなと思いました。
待ってれば来るだろという友達に反し、迎えに行くというというネズミの行動からワニへの愛が感じられますね。
友情の尊さのみならず、作者の人生観についてまで触れることができたような気がします。
漫画家(好きなことを職業に)として生きる作者の過去の葛藤、友人を亡くした作者の気持ちが痛いほどよくわかる素晴らしい作品でした。。
考察はここまで。この記事が良いと思った方はぜひ他の記事もみていってください。
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